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2010年1月18日 (月)

卑弥呼

 今回の記事は、偉人の名言というわけではないのですが、昨年流行した言葉に「歴女(歴史好きの女子)」という言葉があるように、最近巷ではひそかな歴史ブームが起きているようですcoldsweats01 そこで文武両道を目指す当ブログとしてはbleah 暇な期間を利用して歴史のお勉強を少し書いていきながら、そこに活躍した偉人の名言を引っ張り出していこうと(急に)思い立ちました。興味のない方は是非スルーしていただきたいのですがcoldsweats01 もし小・中の子供たちが読んだ場合は、最後まできちんと正座して読むようにしてくださいhappy01

 

 まずは日本が国家として成り立ってきた紀元後3世紀あたりから話を進めていきたいと思いますhappy01 

 

Kome1 その前に・・・・・3世紀以前の日本はというと、弥生時代に中国から伝来したとされる稲作が始まり、これにより貧富の差というものが出来てきました。(もっとも、現在の研究では稲作が日本に伝来したのは更に時代をさかのぼり、縄文時代辺りだというのが確実らしいのですが) 貧富の差が出てくると当然、次に支配者というものが現れるようになります。これによりこの時代には100以上もの小国が出現し、それぞれが国家を成していたとされています。これらは同じ時代の中国、漢の国に残っている「漢書」というものに記録されいたようです。そしてその小国同士が戦争を繰り返し、3世紀頃には邪馬台国という国家が日本を統一し存在していたという説があります。これも同じく漢の国の書物、「魏志倭人伝」に記されています。

 

 この時代の中国の漢という国は、前漢と後漢とに分けられ、後漢の初代皇帝は光武帝と言い、「柔よく剛を制す」というあの柔道でも有名な名言を残したとされる人物であります。倭の奴国の王に金印を送ったとされるのもこの光武帝です。また、そんな漢が滅亡を迎えようとする頃、中国では「三国志」で有名な戦国時代に突入しました。邪馬台国とはそんな時代のお話です。

 

 邪馬台国は卑弥呼という女王が統治していたという記録が残されています。しかし、邪馬台国・卑弥呼ともに現存したという確証は、現在もなお得られていません。なぜなら、これらの記録は中国の書に多く残されており、なのに日本に残る書にはほとんどその記録が残されていないからです。明らかとされるのは、4世紀に入り大和国家が日本を統一し隆盛を極めたというところあたりからだそうです。卑弥呼の特徴として知られていることも当然少なく、女で独身、巫女、弟がいて、死後に大きな塚に葬られたというところぐらい。。。

 

 これほどお隣の中国が大きく取り上げるべき国家であった邪馬台国・卑弥呼の記録が、日本でほとんど残されていないというのも不思議な話だそうです。そういうところから、邪馬台国は日本を統一するような大国ではなく、九州の一小国だという説も浮上しています。しかし、これも確証を得るには至っておらず、今のところ学校で子供たちが習っているのは、皆さんご存じのとおりの邪馬台国と卑弥呼です。いまだベールに包まれたままの邪馬台国と卑弥呼。日本列島で初ともいうべき古代統一国家の真の正体に思いを馳せ、当時の人の暮らしぶりを想像してみるのも悪くありませんねhappy01

 

 弥生時代のテストのポイントは、

 

 「稲作の伝来」「高床式倉庫」「金属器・弥生式土器」「貧富の差の出現」あたりでしょうか・・・。そして貧富の差の出現により小国乱立→邪馬台国→大和国家へと繋がっていくのです。

 

 次回へ続く。。。(更新日は全然未定です)

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