受身を練習する理由
柔道を始めるに当たって・・・
誰もがまず最初に練習するのは「受身」であります
もちろん、礼法や基本運動の練習がその前なのですが、「受身」はやはり柔道の基本・入口とも言えますよね
習い始めた最初の3ヶ月は受身の練習のみ・・・なんていう時代もあったほどです![]()
「受身」とは、当たり前のことですが柔道において怪我をしないための、自分の体を守る動作のことです。このことは非常に重要で、受身の上手さと柔道の強さは比例する・・・と言われるほどです
受身がしっかりできる選手は、投げられた時のことを怖がらずに済みますし、結果として思い切った技が掛けられる、というのが大きなポイントなのでしょう。
しかし、柔道では・・・当たり前のことですが
「綺麗に受身をとる」=「負け」
です(ノ∀`) アチャー つまり・・・柔道の入口では、まず最初に負ける時の練習から始めるということになりますよね
受身の練習=負けるときの練習ということなのです。もちろん受身の稽古とは、単にそれだけではないと思います。実際に柔道の入り口で受身の練習をすることにより、畳に親しむ・投げられたときの痛さを知る・投げられた相手の痛みを知る・などなど・・・・
いろいろなことを受身から学べるでしょう
しかし、特に最近の柔道を見ているとそう思わざるを得ない部分が多々見られるのですが、現に世界柔道やオリンピックといった世界のトップ選手が集まった試合では、まともに子供たちが習っているような綺麗な受身を取っている選手はほとんど見受けられません
負けないために、ありとあらゆる体勢をとって背中から畳につくことを防ごうとしています。腹ばいで逃れる選手・手を畳について技を防ごうとする選手など様々です。見ている側からすると、思わず「ゾッと」するような防ぎ方がたくさん見られますよね
もちろんトップの選手たちですから、しっかりとした基本の受身を身に付けた上でのパフォーマンスなのでしょうし、一般人とはパフォーマンスの能力も別世界ですから
彼らには当然出来る範囲のことなのでしょうが、しかしさながらレスリングを見ているかのような技の防ぎ方です![]()
これはまさに、
「綺麗に受身を取る」=「負け」
という、スポーツとしての「柔道」の世界に身を置いている選手ならではの光景だと思いませんか
オリンピックで金メダルを取るのに受身は必要ありませんから
試合中に綺麗に受身を取ってしまったら・・・その瞬間に試合は終わってしまうのです。最後の最後まで綺麗に受身をしなかった選手が金メダルを獲得するのです
勝ち負けで世界一を決めるのですから、これらの光景も当然といえば当然です。あっさり受身の準備をしていたのではとても勝つことなんて無理ですから。彼らに受身の練習は必要ないのかもしれませんね
しかし、武道としての「柔道」は少し違うような気がします。
柔道とは言うまでもなく「武道」でありますし、武道には「勝ち・負け」の概念はそもそも存在しないように感じます。柔道における受身は、投げられたときに危険な倒れ方をする前に受身を取る・・・というのが基本です。そういう動作が無意識のうちに出来るようになる為に、何も知らない入口でまず習うのだろうし、地味な受身の練習のみしか最初はさせてもらえないのでしょう。勝ち負けを競う柔道ではなく、武道では、自身の鍛錬と人間としての「心」の養成を学ぶのが大きな目的だと先生方はよくおっしゃられています。
少年柔道は今、スポーツとしての柔道と武道としての柔道、これらの狭間にいると僕は思います。
「勝ち負けじゃないぞ」
「柔道の基本を身につけるのが少年柔道」
「心や体を鍛えるのが柔道」
などと言いつつ、親として子の試合を見れば、勝つことを望んでしまいますし
、子供たちも勝つために練習をしているのだと思います。先生方だってそうだと思います。
実際僕も、3兄妹にはそう接しています
だから、この水掛け論の答えは僕には出せません。まったく勝ち負けを度外視しても成り立たないような気がしますし
、勝ち負けがある以上は勝ちにこだわるのも理解できますし・・・・。まったく偉そうにこんな論議はできません![]()
一つ言える事は・・・
こんな水掛け論の答えは出せませんが、僕はこの記事のタイトルの
「受身を練習する理由」
こそが、少年柔道の本来あるべき姿だと思えてならないのです。受身は単に負けたときの練習・怪我をしないためだけの練習・・・だけではなく、心技体を基本とした、人として歩むべき道を探し学ぶ、武道の真髄の入口のように思っています。少年柔道とはまさに、人として歩むべき「道」の第一歩、まさに入口を学ぶ受身と同じような感じだと・・・。全然上手く言えないのですが
、そんな感じです![]()
特に、コテコテの日本人体質の僕は、この「武道」や「武士道」の思想が大好きです![]()
これをなくして本当に「勝ち負け」のみを追求するスポーツなのであれば、それはもう柔道ではないような気がしてなりませんし、本当に受身の練習なんて必要ありません。受身があるから技がある。相手の痛み、努力することの尊さを知るからこそ相手を尊敬できる心が育つ。だからこそ向上心が芽生える。
「向上心」を単純に「勝ち負け」だけに置き換えるのではなく、試合での強さだけではない、人間としての強さを作っていくのが理想なのかな・・・・と![]()
なんだか訳の分からない話になり、しかも偉そうに書いてしまいましたが
・・・この辺で。
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