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2008年2月16日 (土)

本多作左衛門

 今回は、偉人の名言シリーズです。    

    『 一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ 』

 これは、丸岡町民なら皆さんがご存知の言葉ですよね!丸岡町民ならずとも、お聞きになったことがある方は、きっとたくさんいらっしゃるはずです(笑)

 そうです。簡潔明瞭で「日本一短い手紙」として有名ですよね。これは、本多作左衛門という戦国時代の武将が、陣中から妻に宛てた手紙の文面だと言われています。

 丸岡町(旧)も、『一筆啓上賞 日本一短い~~への手紙』という町興しイベントで全国から手紙を公募し、現在では多くの国民から知られる、反響の大きいイベントとなっています!!このイベントで手紙の審査員を務めていらっしゃる方の中に、作家の吉本バナナさんが入っているのも、当時としては大きな話題となっていました。

  さて、この本多作左衛門という人物は、戦国時代、三河国(現在の愛知県あたり)を支配していた徳川家康の配下の武将で、この手紙も、織田・徳川連合軍が武田氏を滅ぼした戦い「長篠の戦」の陣中から三河の我が家に送ったものと言われています。また、本多作左衛門は、通称「鬼作左」と呼ばれていたそうで、勇猛果敢な武将だったということです。戦争でたくさんの傷を作り、片目が負傷してなくなっていたり、左手も何本か欠損していたようです。

 このように本多作左衛門は、生まれも育ちも三河の国。その後、豊臣秀吉の時代になり、秀吉の怒りを買う事件を起こしたために、現在の千葉県君津市あたりに蟄居を命ぜられ、その後茨城県取手市で一生を終えることになります。つまり、本多作左衛門自体は一度も越前の国に来たこともありませんので、当然丸岡などは縁も所縁もない土地という事になります。

 ではこの一筆啓上、なぜ本多作左衛門と縁も所縁もない丸岡町が町興しに使ったのでしょうか??

 実は、この手紙の中に答えがあるのです!どういう事かというと、手紙の中に出てくる、「お仙」というのは、作左衛門の嫡男「仙千代」のことを指し、この仙千代こそが後の「丸岡藩の藩主 本多成重」だったのです。

 本多作左衛門の武力や忠誠心を愛していた徳川家康は、豊臣秀吉により千葉へ蟄居させられたことを不憫に思い、自分が天下をとった後に息子の本多成重を丸岡藩主として取り立てたのです。その時の本多成重の居城が「丸岡城」でした。

 この丸岡城は、「現存する日本最古の天守閣」としても有名ですよね。(丸岡城を築城したのは、柴田勝豊という人物)

 そのような縁から、丸岡町が町興しとして始めたのが、「一筆啓上賞」だったというわけです。

 このブログは柔道日記という事で、私も柔道にちなんだ優弥への手紙を一句・・・!

  『 一筆啓上 前へ出ろ ガンガン攻めろよ 背負投げ 』

 最後に職業柄、もう一つ付け加えますと・・・。「火の用心」というこの言葉の生みの親も、本多作左衛門だと言われています。つまり、この手紙以前の時代には、「火の用心」という言葉は存在しなかったのだそうです・・・。

 

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